父母の喧嘩から失踪した母、いまやWEBサイトや掲示板でも不明

小さい頃は、両親が若く、よくケンカをしていました。ケンカといっても、格闘技をやっている父が一方的に母を脅すように怒鳴りちらし、物に当たったり、手をあげたり、大きな音と父の叫ぶ声ばかりが響く家は、幼少期の心に大きな闇を与えました。娘の私や妹に手をあげる時は、母が一生懸命守ってくれるため、結局母が傷つけられているのを見て、母と一緒に涙を流す事も多々ありました。それでも、私と妹が小さい時は、文句ひとつ言わず、翌日には朝ごはんを作って、パートに出かける日々でした。

家に稼ぎの半分しか入れない父のせいで、母は小さな私達二人を育てながら、パートで働き、ある時は夜のお仕事もしながら家計を助けていましたが、理不尽な暴力や父の圧制に、過度なストレスから母が体調を崩し、パートを辞めざるおえなくなり、仕事を探していました。仕方が無く内職を始め、月に数万円、自宅で手作業をしながら稼ぐ事ができていました。その頃には、私は高校生、妹は中学生で、内職を一緒に手伝いながら、働いた分を少し、お小遣いとしてバックしてもらっていました。

ある夜、またいつものように酔った父が暴れだし、母の泣く声が聞こえ、私と妹は涙を流しながら布団に潜って隠れていました。泣きつかれて、妹も私もいつの間にか眠りついていましたが、その日は早めに目が覚めてしまいました。なんとなくリビングがいつもより片付いているな…と思う程度の違和感で、両親は寝室にいるものだと思っていました。

その日の朝ごはん担当は私だったので、そのまま朝ごはんとお弁当の支度を始め、新聞を取りに外に出た時に、玄関先に山のようなダンボールが目に入り、驚愕しました。ダンボールの山の上には、『今までお世話になりました』と言う母のメモ書き。そのダンボールは、内職の作業が完了した梱包でした。おそらく1週間はかかるであろう作業を一晩で終わらせ、母は家を出ていました。家庭内での唯一の救いであった母の家出は大変ショックでしたが、女性の家出は、計画的なんだな…とその時の感想は、まるで第三者のようでした。

あれから町の掲示板や、警察への届け出、WEBサイトや、人探しサイトを使っていますが会う事はできてません。